九州帰省 四日目 ⑯ ― 2014年02月27日 10:41
何だか物々しい現場から立ち去り、車を駐車場から引っ張り出して、小倉の中心街「魚町」へと向ってみました。
最大の繁華街の名前が「魚町」と言う名前なのも、魚好きの小倉らしい気がします。
小倉の中心を流れる紫川です。
今はこの川にかかる橋を街のイメージアップに利用する為、様々な意匠をこらした綺麗な橋がかかっています。
今でこそ流れも綺麗になり、過去のヘドロの川の面影は見られなくなりました。
そして、この川に住んでいた人達も。
実は私が高校生くらいの頃まで、この川にはいくつかの家族が住んでいました。
彼らは10メートル四方くらいの台船を複数連結し小屋を建て、川の水で体を洗い、洗濯をし子供を育て、そしてその姿を橋の上から見る事が出来ました。
そのような水上生活者の集落が、この橋から更に河口近くまで連なっていました。
過去、東南アジアで見られたボートピープルのような生活が、日本でも存在していた訳です。
ある頃、都市計画の一環で彼らが住む家を建てて移住してもらい、その生活する姿は消えてしまったとの事です。
その後、彼らは幸せに暮らしているのでしょうかね。
車を井筒屋デパートの駐車場に入れて、久しぶりの魚町銀天街を歩いてみる事にしました。
井筒屋は北九州の老舗デパートの名前です。
駅側、北の方から南に向って写真を撮ってみました。
まだ朝早く人通りは少なめですが、思ったよりも人通りは多いようです。 この町も地方都市の商店街に見られるようにシャッター街になりつつあると聞いていたので、少し安心しました。
これから少し小倉の街を散策してみたいと思います。
最大の繁華街の名前が「魚町」と言う名前なのも、魚好きの小倉らしい気がします。
小倉の中心を流れる紫川です。
今はこの川にかかる橋を街のイメージアップに利用する為、様々な意匠をこらした綺麗な橋がかかっています。
今でこそ流れも綺麗になり、過去のヘドロの川の面影は見られなくなりました。
そして、この川に住んでいた人達も。
実は私が高校生くらいの頃まで、この川にはいくつかの家族が住んでいました。
彼らは10メートル四方くらいの台船を複数連結し小屋を建て、川の水で体を洗い、洗濯をし子供を育て、そしてその姿を橋の上から見る事が出来ました。
そのような水上生活者の集落が、この橋から更に河口近くまで連なっていました。
過去、東南アジアで見られたボートピープルのような生活が、日本でも存在していた訳です。
ある頃、都市計画の一環で彼らが住む家を建てて移住してもらい、その生活する姿は消えてしまったとの事です。
その後、彼らは幸せに暮らしているのでしょうかね。
車を井筒屋デパートの駐車場に入れて、久しぶりの魚町銀天街を歩いてみる事にしました。
井筒屋は北九州の老舗デパートの名前です。
駅側、北の方から南に向って写真を撮ってみました。
まだ朝早く人通りは少なめですが、思ったよりも人通りは多いようです。 この町も地方都市の商店街に見られるようにシャッター街になりつつあると聞いていたので、少し安心しました。
これから少し小倉の街を散策してみたいと思います。
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