東北 南三陸町~郡山 (2012/11/10)2012年12月06日 16:10

何故だか回線の調子が悪いようで昨日は一日中インターネットに繋ぐ事が出来ませんでした。

ようやく今復旧したので、また切れてしまわない内に日記を上げてみます。

東北 震災地区訪問も南三陸町で終わり、今日の宿泊地の郡山へ向かいます。

予定では気仙沼市も訪れる予定だったのですが、国道45号線が気仙沼の手前から大渋滞していてやむなく訪問を中止しました。

復旧作業のダンプの増加や気仙沼線が流された為の車での移動の増加などが影響しているのでしょうか。
もしくは迂回出来る道が流されてしまったとか。

とりあえず、新幹線に乗り換える為に古川駅へと向かいました。

古川駅には先日画像を上げましたが鉄魚が飼われています。
ついでなので、もう一回。

2012_11_10_古川_鉄魚


図鑑などで見ると鉄魚は普通のフナと同じような色なのですが、こいつらは黄色っぽい色合いに見えます。

まあ、そんなもんなんでしょうかね。

古川駅で新幹線に乗り換え、郡山へ。
約一時間の行程です。

で、夕食ですね。

2012_11_10_郡山_牛豊_タン塩


郡山のJA直営の焼肉屋さん、「牛豊」のタン塩です。
何か写りがショボイですが、なかなか美味しい肉を食べさせてくれる店でした。

この店は地産地消をモットーに福島県産の肉、野菜を中心に出してくれるお店のようです。

値段も手頃で美味い肉を食べさせてくれるのでなかなか嬉しいのですが、ちょっと繁華街から外れているのが残念ではあります。

2012_11_10_郡山_牛豊_牛切り落とし


牛肉の切り落としです。

実はこれが強すぎない脂とたっぷりの肉汁が味わえ、素晴らしく美味い肉でした。
もうこれだけ頼んでいれば充分な気さえしました。

郡山市は他の町と比べて名物と言える食べ物が少ないようで、なかなか食事をする店に悩むのですが、この店は良いですね。

さて、腹一杯になりました。
今日一日は震災被害地区を周って精神的にも厳しいものが有りました。
明日は観光に絞って楽しむ予定です。

ちょっと忙しいので2012年12月04日 13:56

ちょっと忙しくて日記が書けませんので、東北地方訪問の時に見かけた写真を一枚載せておきます。

2012_11_10_古川_鉄魚


古川駅で飼われていた鉄魚と言う魚です。
駅で飼うにふさわしい名前ですね。

元はフナなのですが隔離されたエリアで世代を重ねた結果、このような姿になったらしです。

人為的な変異を固定させた金魚と異なり、こいつらは完全に天然物です。
天然記念物にも指定されていた気がします。

ちょっと尾っぽが長くて可愛い姿ですね。

東北 ~南三陸町2012年11月28日 12:50

更に北上を続け南三陸町を目指します。

このルートです

戸倉のコンビニを出てガレキを乗せたトラックが行ったり来たり忙しく行き交う国道45号線を北上して行きます。

南三陸町の手前はやや山がちになっており被害が目立たないのですが、町の手前の川を渡った途端に景色が一変しました。

この辺りです

南三陸町はこの辺りでは比較的大きな町だったはずですが、それこそ何も残っていません。

ところどころに3~4階建てのコンクリートの建物が残っていますが、窓は無く上階まで津波に洗われた事が分かります。

この辺りです

南三陸町津波動画

動画を見ると、とてつもない高さまで津波が押し寄せたのが分かります。

この辺りです

推測でしか有りませんが、上のストリートビューは動画が撮られた場所じゃないかと思います。

高台に有る志津川高校への道の中ほどくらいまで津波は駆け上がって行ったんでしょうね。

ちょっと想像が付きません。

それと今回の津波被害によって有名になってしまった南三陸町の悲話が有ります。

南三陸町には防災対策庁舎と言う施設が有り、そこに勤める女性が最後まで避難の呼びかけ放送を続けた末に亡くなってしまった、と言う悲劇ですね。

遠藤未希さんと言う方だったようです。
ご冥福を祈ります。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_1


その防災対策庁舎です。
3階建ての建物が完全に水没してしまっています。

津波時の画像を見た事が有るのですが、庁舎の屋上に有る数本のアンテナ。
この中で最も高いアンテナにしがみ付いた数人のみが助かったそうです。

屋上に立っていた人、他のアンテナに掴っていた人達は全て流されてしまったそうです。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_2


鉄骨の骨組みだけが残っています。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_3.


正面には千羽鶴や花が供えられています。

このような巨大な災害、津波を防ぐ有効な方法は何か有るんでしょうか。

有名な田老の高さ10メートルの堤防も破られましたし、住民全員が避難可能な高さの有る建物を造るのはそう簡単に出来る話では無さそうです。

やはり個々人で高台へ移転するしか無いのでしょうかね。

さすがに車内は呆然とした空気が流れますが、とりあえず気仙沼に向かって車を走らせます。

東北 ~南三陸町2012年11月27日 12:28

塩竃市を出発し北上します。

このルートです

しばらくは松島湾沿いの道となりますが、この辺りは湾内のおかげか比較的津波被害が小さかったように見えます。
湾を塞ぐように散らばる島々が町を守ってくれたのでしょうか。

観光客も大変に多く、松島海岸駅を越える辺りまで想定外の渋滞で大きく時間をロスしてしまいました。

この辺りです

ストリートビューでも目立った被害は見当たらないようです。

塩竃から松島にかけては観光をベースにした復興が始まっているみたいで何よりです。

ところが東松島市に入った辺りから様子が一変して来ます。

この辺りです

道の両側に空き地が目立つようになり、建っている家屋も一階の壁が壊れてガランドウのようになってしまった家が目立ちます。

外海に面したこの辺りは当然のように津波の直撃を受けたんですね。

道は石巻市へと入り海岸沿いの工業、倉庫地帯を抜けて行きます。

当然ながら石巻市も大きな被害を受けていて道路はデコボコであちこちで補修をしていますが、港湾地区を通る道のせいか被害が目立ちにくいようでした。

動画では物凄い津波に襲われています。
恐怖以外の何物でも有りません。

石巻市津波

道は石巻市の東で国道398号線と合流し女川町へと向かいます。
そして牡鹿半島の根元を越え女川町の平地部に降りた途端に異様な光景に出会う事になりました。

女川町は牡鹿半島の付け根の湾奥に広がる比較的大きな漁港のはずですが、何も残っていません。

根こそぎ津波に浚われたのだと思うのですが、集落丸ごと、それこそ町を丸ごと持って行かれた結果がこの状態なんですね。

さすがに同乗の仲間からも声が出ません。
写真さえ撮る気がおきない惨状です。

この辺りです

女川町津波

女川町被害状況

ストリートビュー右奥に茶色の建物が見えていますが、この高台へ続く階段の壊れ具合から見て2/3くらいまで水は上がったように見えます。

そんな高さまで押し寄せられたら普通の家屋はひとたまりも無いですね。

道は続き気仙沼方面へと向かいます。
道々現れる平地、集落にはことごとく津波の被害の爪跡が続きます。
さすがに車の中も重苦しい空気が漂います。

女川町から走る事一時間余り、一軒のコンビニが営業していました。

この辺りです

塩竃市を出て松原市を越え2時間以上走っていますが、初めて営業しているコンビニを発見しました。

ストリートビューではまだ復興前の空き地の状態ですが、プレハブ造りのようには見えますが立派に営業してくれています。

トイレは工事現場に置いてあるような仮説トイレですが、本当にありがたい存在です。

ちょっと飲み物でも買って元気を出して行きましょうかね。

2012_11_10_気仙沼線_陸前戸倉周辺


気仙沼線、陸前戸倉駅の近く、コンビニの目の前です。

この辺りです

線路は流されて跡形も有りませんし、山に植えられた杉らしい樹木も波を被って立ち枯れています。
私たちが行った時は、トンネルの上辺りまで立ち枯れが進んでいるように見えました。

間もなく道は南三陸町に入ります。
ここも甚大な被害を受けた事で有名になってしまった町ですね。

東北 ~南三陸町2012年11月22日 00:20

塩竃を出発し国道45号線~県道27号線を通って女川町を目指します。

このルートです

震災による津波で塩竃市と近くの多賀城市も大きな被害を受けており、テレビでも何度も動画が放送され、動画サイトYouTubeにも沢山の動画がUPされました。

いくつか探してリンクを貼ってみます。
いつかリンクが切れてしまうかも知れませんが、ご勘弁を。

多賀城市

多賀城市

地図だとこの辺りですね。
塩竃市のちょっと南辺りになるみたいです。

多賀城市イオン

もちろん塩竃市も津波被害を受けていて、その動画もいくつかUPされています。

塩竃市マックスバリュー

塩竃市マックスバリュー

上の動画は下のリンク先の辺りになるのですが、道路は完全に津波に呑まれてしまっています。

塩竃市イオン

これだけの水が襲って来るのを想像するのは本当に困難です。

それでも塩竃周辺は津波に破壊され更地になってしまった土地に新たな家や施設が建ち始めています。
中央卸売り市場のように既に機能を回復した施設も有りますし、実際多くのお客さんを呼んで活気を見せ復興しつつあるように感じました。

ところがここから更に北上して行くと、仙台などの大都市から離れている為なのか交通網が充分確保されていない為なのか、復興にはまだまだ遠い地域が多い事が感じられます。

まだまだ悲惨な地域が多いので写真は余り撮りませんでしたが、少しだけ日記にして行きたいと思います。