ミッレミリア ②2020年02月10日 12:14

年末に親族が亡くなったと日記にしましたが、週末が法要関係でどうしても帰省しなければならない上に仕事もエラク忙しくなって十分日記を書く時間が有りませんでした。
ようやく49日の法要と納骨も終わりそろそろ落ち着き始めると思います。

とりあえず日記の続きを上げて行きましょう。

2020_01_18_01_ミッレミリア1


丸っこい後ろ姿の車達が並んでいます。
柔らかいラインが比較的カクカクした現代の車のデザインとの違いに見えます。
私はカクカクした車があまり好みでは無いので、この後ろ姿には心惹かれますね。

2020_01_18_01_ミッレミリア2


メーカーのブースに特別扱いで展示されていたシトロエンです。

1923年製造のtype c 5hp。
約100年前のとんでも無く古い車です。
実は私はシトロエンがそんなに古くから車を製造しているとは知りませんでした。

2020_01_18_01_ミッレミリア3


そしてカーナンバー1は今年もこのブガッティです。
1924年製造らしいんですが、これもとんでもない車ですね。

2020_01_18_01_ミッレミリア4


スタート前の交通安全祈祷が始まりました。
大変な悪天候の中のレースです。
事故が無く、無事にゴールして欲しいものですね。

ミッレミリア ①2020年01月20日 08:34

かなり前の事ですが、昨年もクラシックカーレースイベントのミッレミリアに招待して頂きました。
ちょっとだけこの催しの日記を上げておきます。

2019_12_29_03_ミッレミリア1


チケット代わりのステッカーを胸に貼って入場します。
このミッレミリアは普通の車のイベントとは違って、招待されない限り会場に入る事が出来ません。
レースにエントリーしているチームからこのステッカーを頂いた人たちだけが入場出来ます。

2019_12_29_03_ミッレミリア2


招待頂いた友人のレースカー、1936年製のベントレーです。
この日の関東地方は千葉県でかなりの被害が出るほどの大雨。
旧車によってラリーを戦うには厳しいコンディションですが、こう言う時こそチャンスだと、気合の入った友人が語っていました。

2019_12_29_03_ミッレミリア4


出場する車は全部で100台ほどでしょうか。
どの車も名車揃いです。
ゼッケンは古い車から降られてゆくので、この辺りのカーナンバーで中堅どころの古さの車だと思います。

2019_12_29_03_ミッレミリア3


真ん中の車、顔つきが可愛いですね。

出場者と応援のお客さんはかなりの割合でテレビ、雑誌などマスコミで見かける有名人達が含まれています。
価値の高い古い車と有名人が集まるイベントなので、入場が制限されるのは仕方無いんでしょうね。

台湾高雄市 中国語学校 あらためて ㉘2019年05月08日 13:55

朝が来ました。
この日は1月3日。
中国語の講義もこの日が最終日です。
正月休みを挟んで11日間、充実した日々が続きました。
この日も講義は夕方6時から始まるので、それまでは自転車でポイント探索です。

2019_04_29_02_ランボルギーニ


最寄りの駅へ向かう途中で見かけたランボルギーニ。
ウラカンですかね。
高級車ですが無造作に歩道に路駐しています。
台湾ではボロボロの車も多く走っていますが、こんな高級車も数多く走っています。

この日目指すのは高雄市の南部、レッドライン草衛駅で自転車を借りて右回りで高雄空港周辺を一周しその後小港駅西の港湾地区をチェックする計画です。
この探索が終われば高雄市の地下鉄で行ける東西南北、すべての終端から自転車で行ける範囲の探索が完了します。

2019_04_29_02_小港1


走ってみて分かったのですが、この辺りは大きな工場地帯になっており川、水路を流れる水はかなり汚染されていて魚が住める環境では無さそうです。
例えばこの水路もゴミだらけでわずかに覗く水面も真っ黒でとても魚が住めるようには見えません。

2019_04_29_02_小港3


比較的大きな川ですが、流れる水は青白色でおそらく硫化水素が発生しているのでしょう。
まあ、死の川ですね。
諦めて海へと向かいます。

2019_04_29_02_小港2


小港駅の南から南西方向の海へ向かうルートは工場地帯を抜ける完全な産業道路です。
トラック以外、人っ子一人居ない二輪専用道路を海に向かいます。

2019_04_29_02_小港4


ようやく道路の終点、紅毛港辺りまでやって来ましたが道路の両側は工場の敷地が広がり海へ出るルートは有りません。

わずかに数軒の檳榔屋さんが店を開いているのみです。
この辺りの工場に勤める人たちが仕事明けに利用しているのか、数人の作業着の男たちがもうろうとした様子で横になったまま口を動かしているのが見られます。

結局どうしても海に出る事が出来なかったので仕方なく引き返す事にしましたが、この辺りは海に突き出した半島です。
半島先端には紅毛港文化園區という観光施設も有るようですが、自転車で行くには自動車専用の危険な道路しか無さそうで諦めるしか有りません。
地図を見た範囲では市内方向にショートカット出来る橋も有るようですが、これも工場の敷地内でアクセス出来ません。
やむをえず来た道をそのまま引き返す事にしました。
この引き返しだけで約10キロのロス。
暑い中、さすがに自転車を漕ぐ足も重く感じる道のりでした。

結局この日も約30キロの探索の旅となりました。
自転車での移動とは言え、毎日ママチャリでの30キロの移動を繰り返すとさすがに疲れが出て来たように感じます。

ミッレミリア ④2018年11月21日 12:14

2018_11_17_01_ミッレミリア3


スタートの時間が近づいて応援のお客さんも増えて来ました。

2018_11_17_01_ミッレミリア1


広場では安全祈願の神事の準備が始まっています。
車もドライバーも高齢の方々が多いので無事にレースを楽しんでもらいたいですね。

2018_11_17_01_ミッレミリア2


ゼッケンナンバーの若い古い車からスタートラインの明治神宮正門へ移動して行きます。
そこではパドックが設置されていて、一般客も柵の外から車を眺める事が出来るようになっています。

2018_11_17_01_ミッレミリア4


友人がスタート地点へと走りだしました。
充分に楽しんで来て欲しいもんです。

今日の日記ではすでにレースの結果は出ていて、友人はなかなかの成績でレースを終えたようです。
このレース終了後、すぐに同じくアメリカのミッレミリアに出走するためにサンフランシスコへ飛んで行ってしまいました。
そのレースで使用した友人の車はブガッティ、栄えあるカーナンバー1。
何だか同じ世界の住人とは思えません。
若干のトラブルも有ったようですが無事完走出来たようです。

しかし、このミッレミリアと呼ばれるレースは他のカーレース、ラリーとは趣がかなり違うような気がします。
もともとカーレース自体はヨーロッパのお金持ちの貴族が始めた物だと思うのですが、ミッレミリアはその伝統が残っているのかも知れませんね。

ミッレミリア ③2018年11月19日 12:53

何台か面白そうな車を紹介してみます。

2018_11_03_03_ミッレミリア1_アルファロメオサガート


この車はアルファロメオ・サガートだと思います。

屋根の二つの脹らみが車の可愛さを強調している気がします。
何故かダッシュボード上に目立つ一袋の飴が。
ドライバーはこの飴を製造しているメーカーの関係者の方なんでしょうかね。

2018_11_03_03_ミッレミリア1_マセラッティ1948


1948年製造のマセラッティ。
堺正章さんの愛車だったと思います。

2018_11_03_03_ミッレミリア1_チシタリア1948


これは1948年のチシタリア204。
世界で5台しか製造されなかったレースカーの1台が日本に存在し、これがその車のようです。
正直、会場に来るまでこの車を見た事も聞いた事も有りませんでした。

2018_11_03_03_ミッレミリア1_ポルシェ


そして年代物のポルシェ。
いつもなら目を見張る年代物だと思いますが、この会場の中では製造年代は新しめのゼッケン92と93。

まだまだ多くの車が並んでいますが、そろそろスタートの準備が始まったようです。