青森へ ⑭ ― 2021年01月06日 09:58
地図に赤く示された散策路を右回りに歩いてみる事にしました。
道の両脇には綺麗に剪定された植え込みと何やら古い造りの建物がちらほらと見受けられます。
ここは馬優先の道ですね。
この順路はホテルが企画するアクティビティの一つの庭園巡りで時々馬車が通り過ぎるようです。
馬と触れ合えるのでしょうか。
きららとうるるって言う名前なんでしょうね。
しかし広場には馬の姿は見えません。
奥に大きな小屋が有ったので様子を見に行ってみました。
薄暗い小屋の中には2頭の馬がくつろいでいました。
どちらがきららで、どちらがうるるか分かりませんが、馬車を引く仕事が終わったのかモリモリと飼い葉を食べていました。
何人かのお客さんが写メを撮っていましたが特に気にもしていないようです。
人間には慣れっこなんでしょうね。
青森へ ⑮ ― 2021年01月11日 10:08
青森へ ⑯ ― 2021年01月13日 12:29
さて最終日です。
三沢空港へ向かう前に三沢市がどんな街なのかを検分してみる事にしました。
三沢市の米軍基地のゲート付近です。
いかにも米軍基地と言った雰囲気を感じます。
ゲート前には沖縄市のプラザハウスと良く似た造りのショッピングセンターが有りました。
名前もスカイプラザ・ミサワ。
しゃれた造りですが笑笑や魚民の看板が少し雰囲気を壊している気がします。
せっかく米軍の街に居るので、昼食としてハンバーガーを食べてみる事にしました。
お店の名前はTUBES。
ゲートの目の前のお店です。
カウンター席です。
各種のお酒も並んでいます。
夜はバーとなり米軍の人たちが集まる賑やかなお店になるようです。
テーブル席には米軍の黒人兵士と白人兵士が一緒に昼食を摂っていました。
奥の方では楽しそうに女子高校生らしき集団がお喋りしているのが見えます。
近所の若者の集まる場所でも有るのですかね。
そしてハンバーガー。
さすがにボリュームたっぷりです。
パテも肉々しく、アメリカ人好みと言えるのでしょう。
街の成り立ち、雰囲気、ともに沖縄のコザを小さくしたような街ですね。
私としてはかなり気に入ったので、青森に釣りに来た時はこれからは三沢市を拠点にしたいと思います。
三沢空港へ向かう前に三沢市がどんな街なのかを検分してみる事にしました。
三沢市の米軍基地のゲート付近です。
いかにも米軍基地と言った雰囲気を感じます。
ゲート前には沖縄市のプラザハウスと良く似た造りのショッピングセンターが有りました。
名前もスカイプラザ・ミサワ。
しゃれた造りですが笑笑や魚民の看板が少し雰囲気を壊している気がします。
せっかく米軍の街に居るので、昼食としてハンバーガーを食べてみる事にしました。
お店の名前はTUBES。
ゲートの目の前のお店です。
カウンター席です。
各種のお酒も並んでいます。
夜はバーとなり米軍の人たちが集まる賑やかなお店になるようです。
テーブル席には米軍の黒人兵士と白人兵士が一緒に昼食を摂っていました。
奥の方では楽しそうに女子高校生らしき集団がお喋りしているのが見えます。
近所の若者の集まる場所でも有るのですかね。
そしてハンバーガー。
さすがにボリュームたっぷりです。
パテも肉々しく、アメリカ人好みと言えるのでしょう。
街の成り立ち、雰囲気、ともに沖縄のコザを小さくしたような街ですね。
私としてはかなり気に入ったので、青森に釣りに来た時はこれからは三沢市を拠点にしたいと思います。
青森へ ⑰ ― 2021年01月18日 12:49
どこかアメリカの田舎町を思わせる三沢市の探索も終わり、そろそろ空港へと向かいます。
この町には表通りから一本入った裏通りに何軒かのカフェやバーが点在しており、夜の街の探索も面白そうに思いましたが今回は時間が有りません。
次回のお楽しみとする事にしましょう。
三沢空港です。
地方空港らしいこじんまりした施設で、奄美大島空港とほぼ同じ規模のような気がします。
空港の植え込みの木にはリンゴの実が生っていました。
九州産まれの身ではリンゴが木になっているのを見る事は無かったのでこの情景は新鮮で、ちょっと驚かされました。
食べれるんでしょうかね。
今回の旅も終わりです。
空路は約一時間。
北九州の実家に帰るよりはるかに近い道のりです。
今回の青森も旅日記を書き終わるまで数か月を要しました。
土日の予定が詰まっていたため日記を書く事が難しかったのが原因でしたが、それでもその忙しい日々の合間を縫って何か所か釣りの遠征を行っています。
釣れたり釣れなかったりの遠征では有りますが写真を見返して少しでも魚の姿を日記として残しておきたいと思います。
ダイオウマツ ― 2021年01月25日 00:01
スマホの画像を整理している時に見つけた画像をいくつか日記にしておきます。
これは大分の親戚の庭にたくさん転がっていたダイオウマツの松ぼっくりです。
写真のように泡盛の瓶の肩くらいの大きさ。
20センチ弱の巨大さです。
実家の整理をしていると棚の奥から出て来たヤツですが、私が子供の頃に拾って来た物なので、50年くらい前の松ぼっくりでしょう。
この大きな松ぼっくりは子供時代には自慢の一品でした。
大人になってからも、この松ぼっくりの存在を説明してもなかなか信じてもらえなかったのを覚えています。
ちなみにこの親戚の家の庭にはこの松ぼっくりが生る巨大な松の林と、玄室を備えた立派な古墳と大岩で造られた合わせて二つの古墳が有ったのですが、去年訪れた時にはどちらも跡形も無く壊されて整地されていました。
畑仕事をしていると時々土器やツボが出土する土地柄で、床の間にはいくつかの土器が並べられていたのを覚えています。
まあ、今となっては家も取り壊されて跡形も無いので、それらの遺物がどうなったのかはもう分かりません。
貴重な資料となったのかも知れませんね。
ちなみに大岩で造られた古墳はゴミ捨て場として活用されていましたが、今考えると何だかなあ、ですね。
そして素晴らしく美味かった、福島は会津若松の米、天のつぶです。
山形県の山形95号とこの天のつぶが私の中では美味さの双璧をなすお米ですね。
そして沖縄の海岸沿いに走る道路に立っていた看板です。
繁殖期の満月の夜、カニ達は集団で海に産卵のために山から下りて来るので、道路はカニで埋まってしまうと思います。
宮古島でも似たような標識が建てられていますが、私はまだそのカニの行列を見た事が有りません。
いつか見てみたいものですね。
南の島と言えばこれ、アダンの実。
コロナ騒ぎで南の島を訪れるのはなかなか厳しい昨今ですが、もうすぐ春がやって来ます。
何とか早くこの騒ぎが落ち着いて、南の強い日差しを楽しみたいものですね。
これは大分の親戚の庭にたくさん転がっていたダイオウマツの松ぼっくりです。
写真のように泡盛の瓶の肩くらいの大きさ。
20センチ弱の巨大さです。
実家の整理をしていると棚の奥から出て来たヤツですが、私が子供の頃に拾って来た物なので、50年くらい前の松ぼっくりでしょう。
この大きな松ぼっくりは子供時代には自慢の一品でした。
大人になってからも、この松ぼっくりの存在を説明してもなかなか信じてもらえなかったのを覚えています。
ちなみにこの親戚の家の庭にはこの松ぼっくりが生る巨大な松の林と、玄室を備えた立派な古墳と大岩で造られた合わせて二つの古墳が有ったのですが、去年訪れた時にはどちらも跡形も無く壊されて整地されていました。
畑仕事をしていると時々土器やツボが出土する土地柄で、床の間にはいくつかの土器が並べられていたのを覚えています。
まあ、今となっては家も取り壊されて跡形も無いので、それらの遺物がどうなったのかはもう分かりません。
貴重な資料となったのかも知れませんね。
ちなみに大岩で造られた古墳はゴミ捨て場として活用されていましたが、今考えると何だかなあ、ですね。
そして素晴らしく美味かった、福島は会津若松の米、天のつぶです。
山形県の山形95号とこの天のつぶが私の中では美味さの双璧をなすお米ですね。
そして沖縄の海岸沿いに走る道路に立っていた看板です。
繁殖期の満月の夜、カニ達は集団で海に産卵のために山から下りて来るので、道路はカニで埋まってしまうと思います。
宮古島でも似たような標識が建てられていますが、私はまだそのカニの行列を見た事が有りません。
いつか見てみたいものですね。
南の島と言えばこれ、アダンの実。
コロナ騒ぎで南の島を訪れるのはなかなか厳しい昨今ですが、もうすぐ春がやって来ます。
何とか早くこの騒ぎが落ち着いて、南の強い日差しを楽しみたいものですね。
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