レガシィとの旅 その40 福岡県 ― 2013年07月25日 15:43
次は福岡県です。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
福岡県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
私の故郷ですね。
当然ながら県内全域に赤いラインが伸びているので詳細説明不能です。
短い日記に何を書くべきか迷いますが、ここはやはりラーメンですね。
東洋軒
まずは東洋軒です。
この店は小倉のラーメン好きで知らない人はまず居ないと思われる有名店です。
と言うか小倉のラーメン好きで食べた事が無い人は居ないんじゃないでしょうか。
この店は私が小学生の頃出来た店で、もう50年ほどの歴史が有る店ですが、厳密に言えば小倉のラーメンではなくて久留米系列のラーメンです。
今もそうだかは分かりませんが、以前はお店の立派な暖簾に「久留米ラーメン」の文字が躍っていました。
この店は実家に近かった事も有り、色々なエピソードも有るのですが、一個だけ。
当時私の家はこの店と同じ町、黄金町で喫茶店を経営していました。
しかし、詳しくは言いませんが新しく開いた店と言う事で頼んでも居ない出前が届いたりと様々な嫌がらせを受けていました。
その関係で、このお店から頼んでも居ないラーメンが出前された事が有りました。
当然こちらは頼んでも居ないので受け取らなかったのですが、怒った店主が喫茶店内に丼ごと例のドロドロの九州ラーメンをぶち撒けて帰った事が有りました。
こっちも被害者なんですけどね。
もちろん親父さんも被害者で、悪いのはツマラナイ嫌がらせをしてたバカドモです。
とは言えそれ以来、我が家の親戚一同、この店、親父さんは大嫌いで誰も行っていないようです。
私は好きなラーメンなので行きますが。
ここの親父さんは元々頑固で有名だったのですが、かなり前に体調を崩されて以降はかなり落ち着いた気がします。
まあ、大きなお世話でしょうけど。
ちなみにこのお店は実に立派な暖簾を出しているのですが、この暖簾は横浜のラーメン博物館一階のミュージアムエリアの壁一面に展示されていました。
今も展示されているのでしょうかね。
この店は子供の頃からの深い記憶と結びついた店です。
末永く美味いラーメンを食べさせてもらいたいものです。
来々軒
そして来々軒。
以前の日記の繰り返しになるので詳しく書きませんが、現在の九州トンコツラーメンを生み出した3人衆の一人が小倉に移り住んで開店したお店です。
あとの二人は佐賀市でお店を開きました。
お店に行けばその歴史について控えめに書かれた資料を見る事が出来るでしょう。
馬島
馬島です。
子供の頃の私の釣りのホームグラウンドです。
一体何度通った事でしょう。
今ではどう呼ばれているのかは知りませんが、その頃の北九州市は4大工業地帯の一つ、北九州工業地帯と呼ばれる八幡製鉄(新日鉄)を中心にした巨大な工業地帯でした。
海はまっ茶色、川や洞海湾と呼ばれる工業地帯に面した海はヘドロの海。
魚を釣ろうにも汚すぎるせいか魚影は薄く、その馬島でもあまり良い釣り場とは言えませんでした。
とはいえ、手頃な釣り場は少なく、渡船で約50分のこの島へ良く渡ったものです。
もう40年ほどこの島へは行っていません。
いつかもう一度この島へ渡って、時間の流れがこの島をどう変えたか、そして時間さえも変える事が出来なかったものは何か、を記憶に刻みに行きたいものです。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
福岡県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
私の故郷ですね。
当然ながら県内全域に赤いラインが伸びているので詳細説明不能です。
短い日記に何を書くべきか迷いますが、ここはやはりラーメンですね。
東洋軒
まずは東洋軒です。
この店は小倉のラーメン好きで知らない人はまず居ないと思われる有名店です。
と言うか小倉のラーメン好きで食べた事が無い人は居ないんじゃないでしょうか。
この店は私が小学生の頃出来た店で、もう50年ほどの歴史が有る店ですが、厳密に言えば小倉のラーメンではなくて久留米系列のラーメンです。
今もそうだかは分かりませんが、以前はお店の立派な暖簾に「久留米ラーメン」の文字が躍っていました。
この店は実家に近かった事も有り、色々なエピソードも有るのですが、一個だけ。
当時私の家はこの店と同じ町、黄金町で喫茶店を経営していました。
しかし、詳しくは言いませんが新しく開いた店と言う事で頼んでも居ない出前が届いたりと様々な嫌がらせを受けていました。
その関係で、このお店から頼んでも居ないラーメンが出前された事が有りました。
当然こちらは頼んでも居ないので受け取らなかったのですが、怒った店主が喫茶店内に丼ごと例のドロドロの九州ラーメンをぶち撒けて帰った事が有りました。
こっちも被害者なんですけどね。
もちろん親父さんも被害者で、悪いのはツマラナイ嫌がらせをしてたバカドモです。
とは言えそれ以来、我が家の親戚一同、この店、親父さんは大嫌いで誰も行っていないようです。
私は好きなラーメンなので行きますが。
ここの親父さんは元々頑固で有名だったのですが、かなり前に体調を崩されて以降はかなり落ち着いた気がします。
まあ、大きなお世話でしょうけど。
ちなみにこのお店は実に立派な暖簾を出しているのですが、この暖簾は横浜のラーメン博物館一階のミュージアムエリアの壁一面に展示されていました。
今も展示されているのでしょうかね。
この店は子供の頃からの深い記憶と結びついた店です。
末永く美味いラーメンを食べさせてもらいたいものです。
来々軒
そして来々軒。
以前の日記の繰り返しになるので詳しく書きませんが、現在の九州トンコツラーメンを生み出した3人衆の一人が小倉に移り住んで開店したお店です。
あとの二人は佐賀市でお店を開きました。
お店に行けばその歴史について控えめに書かれた資料を見る事が出来るでしょう。
馬島
馬島です。
子供の頃の私の釣りのホームグラウンドです。
一体何度通った事でしょう。
今ではどう呼ばれているのかは知りませんが、その頃の北九州市は4大工業地帯の一つ、北九州工業地帯と呼ばれる八幡製鉄(新日鉄)を中心にした巨大な工業地帯でした。
海はまっ茶色、川や洞海湾と呼ばれる工業地帯に面した海はヘドロの海。
魚を釣ろうにも汚すぎるせいか魚影は薄く、その馬島でもあまり良い釣り場とは言えませんでした。
とはいえ、手頃な釣り場は少なく、渡船で約50分のこの島へ良く渡ったものです。
もう40年ほどこの島へは行っていません。
いつかもう一度この島へ渡って、時間の流れがこの島をどう変えたか、そして時間さえも変える事が出来なかったものは何か、を記憶に刻みに行きたいものです。
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