三軒茶屋から豪徳寺へ ② ― 2013年06月08日 13:41
三軒茶屋から小田急線の豪徳寺駅へ世田谷線に乗って向っています。
乗換駅は山下と言う名の駅のようで15分ほどの道のり、わずかな時間でしたがちょっとした旅気分を満喫出来ました。
小田急線に連絡する山下駅です。
見た感じでは、地方のローカル駅と何ら違いの無い風情が有ります。
三軒茶屋方向の写真です。
この上の高架を小田急線が通っています。
写真を撮ったり何となく駅を眺めていると踏み切りの警報機が鳴り始めました。
電車が来たようです。
駅に止まっていた電車とはタイプが違いますが、これも小振りでなかなか可愛いデザインですね。
ついでに、電車が止まっている山下駅の写真も。
この写真を見ていると、どこかの町で見かけた景色に似ている気がします。
おそらく釣りで訪れた地方の町なのでしょうが、一体どの町なのか思い出せないのが気になります。
まあ、それは置いておいて小田急線に乗り換えれば自宅まですぐですね。
乗換駅、小田急線の豪徳寺駅の改札口前にこんな像が。
招き猫なのでしょうが豪徳寺駅と何かの関係が有るのでしょうか。
しかもあまり可愛くは無い気がするんですけどね。
乗換駅は山下と言う名の駅のようで15分ほどの道のり、わずかな時間でしたがちょっとした旅気分を満喫出来ました。
小田急線に連絡する山下駅です。
見た感じでは、地方のローカル駅と何ら違いの無い風情が有ります。
三軒茶屋方向の写真です。
この上の高架を小田急線が通っています。
写真を撮ったり何となく駅を眺めていると踏み切りの警報機が鳴り始めました。
電車が来たようです。
駅に止まっていた電車とはタイプが違いますが、これも小振りでなかなか可愛いデザインですね。
ついでに、電車が止まっている山下駅の写真も。
この写真を見ていると、どこかの町で見かけた景色に似ている気がします。
おそらく釣りで訪れた地方の町なのでしょうが、一体どの町なのか思い出せないのが気になります。
まあ、それは置いておいて小田急線に乗り換えれば自宅まですぐですね。
乗換駅、小田急線の豪徳寺駅の改札口前にこんな像が。
招き猫なのでしょうが豪徳寺駅と何かの関係が有るのでしょうか。
しかもあまり可愛くは無い気がするんですけどね。
五反田 キョウダイ ― 2013年06月09日 09:54
先日、所用の為はやめに仕事を終えたついでに五反田のマーケット「キョウダイ」に寄って来ました。
キョウダイ
この店は南米諸国で製造されている様々な商品、主に食料品を置いているスーパーマーケットのようなお店です。
この店は閉店が18:00と早いので、今回のように早めに仕事を終えた時にしか入れないので、時間はギリギリでしたが寄ってみました。
場所はこの辺り。
五反田の駅前、洋服の青山が有るビルの6階です。
ビルに入ると表示板の6階に「GRUPO KYODAI」の名前が有ります。
で、今見て気付いたのですが、GROUPでは無くてGRUPOなんですね 何語が分かりませんが、同じ意味でしょうか。
エレベータの前にはこんな看板が置いてあります。
今回は閉店ギリギリだったので大急ぎで店内を回ってみました。
ドライフルーツのパッケージに見えますが、説明書きが読めないので何なのだか良く分かりません。
お菓子の棚なんだと思うのですが、インスタント食品の棚のようでも有りやはり良く分かりませんが華やかな商品が並んでいます。
この店が有るフロアにはペルーの領事館が有るので日本に住んでいるペルー人の人達が用事を済ませたついでに立ち寄る店なんでしょうね
。
また同じビルにはブラジル領事館も入っています。
店員さんも当然南米の人なんですが、ペルー人なのかブラジル人なのかは私には分かりません。
時間も無い事ですし、レジの前に並んでいる特売品のワゴンに並んでいる商品をザッと見て何か買う事にしました。
以前来た時は各種のお菓子が特売されていて友人への手土産にしたところなかなかの評判だったので、今回も特売狙いです。
買ったのはこれ。
パッケージの裏を見るとカップに入れてお湯で溶かすイラストが有りました。
カップスープみたいな物だと想像して2~3個づつ買ってみました。
その後、友人に数個プレゼントした後、自分でお湯に溶いて飲んでみようとしたのですが、とても飲めたシロモノでは有りません。
味は無く、お湯で解けた粉末がドロドロベタベタした感触が有るばかりで喉を通りませんでした。
これは絶対食べ方を間違えていますね。
きっと友人もお湯で溶かしてみてたまげたでしょうね。
今回の賭けはハズレでしたが、次回は大当たりを引いてみたいと思います。
キョウダイ
この店は南米諸国で製造されている様々な商品、主に食料品を置いているスーパーマーケットのようなお店です。
この店は閉店が18:00と早いので、今回のように早めに仕事を終えた時にしか入れないので、時間はギリギリでしたが寄ってみました。
場所はこの辺り。
五反田の駅前、洋服の青山が有るビルの6階です。
ビルに入ると表示板の6階に「GRUPO KYODAI」の名前が有ります。
で、今見て気付いたのですが、GROUPでは無くてGRUPOなんですね 何語が分かりませんが、同じ意味でしょうか。
エレベータの前にはこんな看板が置いてあります。
今回は閉店ギリギリだったので大急ぎで店内を回ってみました。
ドライフルーツのパッケージに見えますが、説明書きが読めないので何なのだか良く分かりません。
お菓子の棚なんだと思うのですが、インスタント食品の棚のようでも有りやはり良く分かりませんが華やかな商品が並んでいます。
この店が有るフロアにはペルーの領事館が有るので日本に住んでいるペルー人の人達が用事を済ませたついでに立ち寄る店なんでしょうね
。
また同じビルにはブラジル領事館も入っています。
店員さんも当然南米の人なんですが、ペルー人なのかブラジル人なのかは私には分かりません。
時間も無い事ですし、レジの前に並んでいる特売品のワゴンに並んでいる商品をザッと見て何か買う事にしました。
以前来た時は各種のお菓子が特売されていて友人への手土産にしたところなかなかの評判だったので、今回も特売狙いです。
買ったのはこれ。
パッケージの裏を見るとカップに入れてお湯で溶かすイラストが有りました。
カップスープみたいな物だと想像して2~3個づつ買ってみました。
その後、友人に数個プレゼントした後、自分でお湯に溶いて飲んでみようとしたのですが、とても飲めたシロモノでは有りません。
味は無く、お湯で解けた粉末がドロドロベタベタした感触が有るばかりで喉を通りませんでした。
これは絶対食べ方を間違えていますね。
きっと友人もお湯で溶かしてみてたまげたでしょうね。
今回の賭けはハズレでしたが、次回は大当たりを引いてみたいと思います。
レガシィとの旅 その34 広島県 ① ― 2013年06月10日 00:15
ちょっと間が開きましたがレガシィとの旅シリーズ、次は広島県です。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
広島県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
広島県の北部と瀬戸内海沿いの南部に2本の赤いラインが伸びています。
北部は中国自動車道、南部は山陽道、西の方へ遠征する時に使うルートです。
尾道市から更に南へ、瀬戸内海沖へと伸びる赤いラインが有りますが、これはしまなみ海道です。
車で自走して四国に入るルートは現在三つ有り、その内の一つがこのしまなみ海道です。
他の二つは明石海峡大橋~淡路島~大鳴門橋のルートと瀬戸大橋のルートですね。
この県も私の釣りの遠征先とは違ってある意味通過するだけの県ですが、他の通過県との相違が有ります。
それは個人的な話なのですが、私は大学時代をこの県で過ごしている点です。
当たり前ですが大学時代と言うのは、人生の中で非常に重要な経験を得る時期です。
良きにつけ悪しきにつけ、様々な世の中の仕組みを学生と言う気楽な立場から学んで行く時期ですね。
大学では一年半を広島市で過ごし、その後の3年半を福山市で過ごしました。
何だか一年多いようですが、それはまあ、どうでも良い話ですね。
岡山県との県境近くに赤いラインが固まっているエリアが有ります。
そこが福山市です。
近くまで走って来た時に、懐かしくて立ち寄って走り回った痕跡です。
大学跡
大学は上のリンク先のストリートビューの位置に有ったのですが、今は移転して緑町公園と言う施設に生まれ変わっています。
大学時代の私はあまり感心出来ない学生だったせいで、学校での思い出は余り多くは有りません。
しかし、学校以外の外の世界の事を多く学んだ年月だったと言えます。
セントポーリア
ストリートビューでもかすかに痕跡が有りますが、ここにセントポーリアと言う喫茶店が有り、開店から閉店までこの店を中心にして生活をしていました。
宮崎生まれのママさんが、数人の私の仲間達に良くしてくれて大変にお世話になっていました。
寒い季節はバイクで冷えた体を暖めに、暑くて眠れない季節の夜は勝手に店に入ってエアコンを全開にしてソファで眠らせてもらったりしていました。
コーヒー一杯、たまに食事を注文するだけで、一日中店を出たり入ったり好き勝手な行動ばかりしている、お客としては最低の部類だった訳で、今思い出すと申し訳無い気持ちになってしまいます。
と言うかこんなの客じゃ有りませんね。
警察に突き出されても文句言えない気がします。
この店は夜はスナックも兼ねていて、地元のお客さんで賑やかな夜も数有りました。
そんな時も何故か無関係な自分が、今の自分と同年代くらいの大人達に混じって飲んだり歌ったりしていた事を思い出します。
元町
その頃、普段はアルバイトが無い日はバイクで走り回ったり酒を飲んだりしていましたが、それ以外にこのアーケードの向こう辺りに有った雀荘で良くマージャンを打っていたりしていました。
と、ここまで書いた所で、ちょっと長くなり過ぎた事に気付きました。
レガシィとの旅日記も、そろそろ生まれ故郷に近づき、故郷に近づくと色々なネタが溢れ出して来ます。
出来るだけシンプルにエッセンスだけを日記にしないと、とんでも無いページ数になってしまいそうです。
気をつけたいと思います。
続きは次回に回そうと思います。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
広島県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
広島県の北部と瀬戸内海沿いの南部に2本の赤いラインが伸びています。
北部は中国自動車道、南部は山陽道、西の方へ遠征する時に使うルートです。
尾道市から更に南へ、瀬戸内海沖へと伸びる赤いラインが有りますが、これはしまなみ海道です。
車で自走して四国に入るルートは現在三つ有り、その内の一つがこのしまなみ海道です。
他の二つは明石海峡大橋~淡路島~大鳴門橋のルートと瀬戸大橋のルートですね。
この県も私の釣りの遠征先とは違ってある意味通過するだけの県ですが、他の通過県との相違が有ります。
それは個人的な話なのですが、私は大学時代をこの県で過ごしている点です。
当たり前ですが大学時代と言うのは、人生の中で非常に重要な経験を得る時期です。
良きにつけ悪しきにつけ、様々な世の中の仕組みを学生と言う気楽な立場から学んで行く時期ですね。
大学では一年半を広島市で過ごし、その後の3年半を福山市で過ごしました。
何だか一年多いようですが、それはまあ、どうでも良い話ですね。
岡山県との県境近くに赤いラインが固まっているエリアが有ります。
そこが福山市です。
近くまで走って来た時に、懐かしくて立ち寄って走り回った痕跡です。
大学跡
大学は上のリンク先のストリートビューの位置に有ったのですが、今は移転して緑町公園と言う施設に生まれ変わっています。
大学時代の私はあまり感心出来ない学生だったせいで、学校での思い出は余り多くは有りません。
しかし、学校以外の外の世界の事を多く学んだ年月だったと言えます。
セントポーリア
ストリートビューでもかすかに痕跡が有りますが、ここにセントポーリアと言う喫茶店が有り、開店から閉店までこの店を中心にして生活をしていました。
宮崎生まれのママさんが、数人の私の仲間達に良くしてくれて大変にお世話になっていました。
寒い季節はバイクで冷えた体を暖めに、暑くて眠れない季節の夜は勝手に店に入ってエアコンを全開にしてソファで眠らせてもらったりしていました。
コーヒー一杯、たまに食事を注文するだけで、一日中店を出たり入ったり好き勝手な行動ばかりしている、お客としては最低の部類だった訳で、今思い出すと申し訳無い気持ちになってしまいます。
と言うかこんなの客じゃ有りませんね。
警察に突き出されても文句言えない気がします。
この店は夜はスナックも兼ねていて、地元のお客さんで賑やかな夜も数有りました。
そんな時も何故か無関係な自分が、今の自分と同年代くらいの大人達に混じって飲んだり歌ったりしていた事を思い出します。
元町
その頃、普段はアルバイトが無い日はバイクで走り回ったり酒を飲んだりしていましたが、それ以外にこのアーケードの向こう辺りに有った雀荘で良くマージャンを打っていたりしていました。
と、ここまで書いた所で、ちょっと長くなり過ぎた事に気付きました。
レガシィとの旅日記も、そろそろ生まれ故郷に近づき、故郷に近づくと色々なネタが溢れ出して来ます。
出来るだけシンプルにエッセンスだけを日記にしないと、とんでも無いページ数になってしまいそうです。
気をつけたいと思います。
続きは次回に回そうと思います。
レガシィとの旅 その34 広島県 ② ― 2013年06月11日 12:21
次は広島県の②です。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
広島県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
前回はちょくちょく駅の近くの雀荘に出入りでしていたところまで書きました。
その店はフリーで打てる雀荘で、知らない者同士その日その日のメンツで卓を囲む店でした。
ルールは関西方面で一般的なブーマージャンと言われる形式、好きな人には分かりますね。
その頃はマージャンが大きなブームの時期で、同級生の中でも主要な遊びでしたが、その頃の私は不思議な事にマージャンが強くて同級生からは敬遠されてしまっていました。
そんな訳で、仕方無くそのフリーの雀荘で地元のオッチャンや怪しい常連さんと卓を囲んでいたりしてたんですね。
その店では常連の、通称オバアチャンと呼ばれる70歳を越える元高利貸し兼不動産屋を営んでいた女性と卓を囲む事が良く有ったのですが、何故かこのオバアチャンに気に入られてしょっちゅう自宅に呼ばれて食事をしていたのを思い出します。
前述のセントポーリアとオバアチャンの家が近い事も有り、あっちに行ったりこっちに来たりで、今思えば何だか渡り鳥みたいな生活ですね。
もうそれから30年以上、もう亡くなられてしまったかも知れませんが一度くらい顔を見に行くべきだったのかも知れません。
若い頃の事を思い出すと、ああすれば良かった、こうしなければ良かった等、後悔する事ばかりが思い出されてしまうのですが皆さんも同じでしょうか。
他にも福山市の記憶は色々有るのですが、それは置いておいて広島市にも1年半住んでいた話を書いてみましょう。
この町でも忘れられない記憶がいくつか有るのですが、その中でまともな物を一つ。
夜空を流れる流れ星、流星と呼ばれる隕石が時々地表に落ちて来ます。
最近ではロシアの大隕石の落下が世界の関心を集めたのは記憶に新しいですね。
ここまで大きくないとしても、大きめの隕石が大気圏で大きく輝く現象を火球と呼びますが、この現象を初めて目撃したのがこの町です。
火球
この町は大田川と言う大きな川の三角州に成立した町でいくつもの支流が市内を走っています。
暖かい季節この川沿いの道をバイクで走っていると、川の向こう、市街地から外れた暗い町並みの上空にすうっと一本の光が現れました。
最初は普通の流星と同じ程度の明るさでしたが、それは突然夜空を明るく染めるように大きく光りだしました。
光る球の大きさは見かけ上、月を一回りから二回りくらい大きくした程度。
時間にして3~4秒程度だったでしょうか。
普通の流星がせいぜい1秒程度でしょうから、かなり長い時間光っていたと言えます。
若い頃でしたが、それでも火球を見る事が出来るのは大変にマレな事だと理解していましたから、今でも強い印象を持って脳裏に焼きついています。
広島市に住んでいた頃も福山市に住んでいた頃も、若くて他の色々な事に目が行っていた関係で、人生で唯一釣りをしていなかった時期に当ります。
あの時期釣り竿を一本でも所持していたら、どのような学生生活に変化していたのでしょうか。
今ではもう取り返しが付く訳でも有りませんが、あの頃の生活を思い出すと冷や汗をかくと同時にもう一度やり直す事が出来ればと、いつも考えてしまいます。
あの頃迷惑をかけ続けた大人の方々、ある種の人々、出来るものならもう一度会ってお詫びをしたいものです。
地図が正しく表示されない不具合が有ります。
広島県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。
前回はちょくちょく駅の近くの雀荘に出入りでしていたところまで書きました。
その店はフリーで打てる雀荘で、知らない者同士その日その日のメンツで卓を囲む店でした。
ルールは関西方面で一般的なブーマージャンと言われる形式、好きな人には分かりますね。
その頃はマージャンが大きなブームの時期で、同級生の中でも主要な遊びでしたが、その頃の私は不思議な事にマージャンが強くて同級生からは敬遠されてしまっていました。
そんな訳で、仕方無くそのフリーの雀荘で地元のオッチャンや怪しい常連さんと卓を囲んでいたりしてたんですね。
その店では常連の、通称オバアチャンと呼ばれる70歳を越える元高利貸し兼不動産屋を営んでいた女性と卓を囲む事が良く有ったのですが、何故かこのオバアチャンに気に入られてしょっちゅう自宅に呼ばれて食事をしていたのを思い出します。
前述のセントポーリアとオバアチャンの家が近い事も有り、あっちに行ったりこっちに来たりで、今思えば何だか渡り鳥みたいな生活ですね。
もうそれから30年以上、もう亡くなられてしまったかも知れませんが一度くらい顔を見に行くべきだったのかも知れません。
若い頃の事を思い出すと、ああすれば良かった、こうしなければ良かった等、後悔する事ばかりが思い出されてしまうのですが皆さんも同じでしょうか。
他にも福山市の記憶は色々有るのですが、それは置いておいて広島市にも1年半住んでいた話を書いてみましょう。
この町でも忘れられない記憶がいくつか有るのですが、その中でまともな物を一つ。
夜空を流れる流れ星、流星と呼ばれる隕石が時々地表に落ちて来ます。
最近ではロシアの大隕石の落下が世界の関心を集めたのは記憶に新しいですね。
ここまで大きくないとしても、大きめの隕石が大気圏で大きく輝く現象を火球と呼びますが、この現象を初めて目撃したのがこの町です。
火球
この町は大田川と言う大きな川の三角州に成立した町でいくつもの支流が市内を走っています。
暖かい季節この川沿いの道をバイクで走っていると、川の向こう、市街地から外れた暗い町並みの上空にすうっと一本の光が現れました。
最初は普通の流星と同じ程度の明るさでしたが、それは突然夜空を明るく染めるように大きく光りだしました。
光る球の大きさは見かけ上、月を一回りから二回りくらい大きくした程度。
時間にして3~4秒程度だったでしょうか。
普通の流星がせいぜい1秒程度でしょうから、かなり長い時間光っていたと言えます。
若い頃でしたが、それでも火球を見る事が出来るのは大変にマレな事だと理解していましたから、今でも強い印象を持って脳裏に焼きついています。
広島市に住んでいた頃も福山市に住んでいた頃も、若くて他の色々な事に目が行っていた関係で、人生で唯一釣りをしていなかった時期に当ります。
あの時期釣り竿を一本でも所持していたら、どのような学生生活に変化していたのでしょうか。
今ではもう取り返しが付く訳でも有りませんが、あの頃の生活を思い出すと冷や汗をかくと同時にもう一度やり直す事が出来ればと、いつも考えてしまいます。
あの頃迷惑をかけ続けた大人の方々、ある種の人々、出来るものならもう一度会ってお詫びをしたいものです。
新馬場 ラーメン いまむら と品川区散策 ① ― 2013年06月12日 12:51
もうかなり前になりますが、品川区の新馬場へラーメンを食べに行ったのでその時の事を思い出しながら日記にしてみます。
新馬場の駅の近くに有るラーメン屋を目指したのですが、国際展示場駅から新馬場駅へは効率の良い電車の乗り換えルートが有りません。
仕方無いので天王洲アイランド駅から歩いて行く事にしました。
新馬場へ
上のリンク先のルート図に有るように、天王洲公園の脇を通り、目黒川河口を渡って歩いて行くルートです。
まだ寒さが残る時期でしたが、この日は良い天気。
暖かい日差しを浴びながら散歩気分で気持ち良く歩いて行く事が出来ました。
京浜運河の一つになるのでしょうか、天王洲公園の裏の運河にこんな水門が。
水門には大きな鯨のイラストが描かれていました。
こう言った施設は、どうしても無機質な造りになってしまいがちですが、この水門を臨む公園や芝生の雰囲気を壊さない為にもこのような配慮は嬉しいですね。
目黒川の河口です。
この川の上流に目を向けると、先は大崎、五反田を越え目黒区、世田谷区へと遡る事が出来ます。
GoogleMapを見る限り、小田急線の梅が丘駅周辺まで川は続いているようですね。
目黒川上流
上のリンク先を見ると、小さな小川となった目黒川が水辺の公園となって子供たちの遊び場になっている様子が分かります。
ここから先は暗渠となり、下のリンク先当りで完全に目黒川の痕跡は途絶えます。
目黒川源流
地図上の特徴から暗渠跡を辿るのは、以前大井町の暗渠を辿った日記でも書いたように割と簡単なので、こんな感じに川の痕跡を追いかけるのもちょっと面白いですね。
さて、新馬場へと道は続きます。
途中に公園に有った藤棚です。
なかなか立派ですが、まだ季節が早かったようでせいぜい2分咲きと言ったところでしょうか。
満開になったらさぞかし立派な姿を見せてくれるのでしょうね。
新馬場の駅の近くに有るラーメン屋を目指したのですが、国際展示場駅から新馬場駅へは効率の良い電車の乗り換えルートが有りません。
仕方無いので天王洲アイランド駅から歩いて行く事にしました。
新馬場へ
上のリンク先のルート図に有るように、天王洲公園の脇を通り、目黒川河口を渡って歩いて行くルートです。
まだ寒さが残る時期でしたが、この日は良い天気。
暖かい日差しを浴びながら散歩気分で気持ち良く歩いて行く事が出来ました。
京浜運河の一つになるのでしょうか、天王洲公園の裏の運河にこんな水門が。
水門には大きな鯨のイラストが描かれていました。
こう言った施設は、どうしても無機質な造りになってしまいがちですが、この水門を臨む公園や芝生の雰囲気を壊さない為にもこのような配慮は嬉しいですね。
目黒川の河口です。
この川の上流に目を向けると、先は大崎、五反田を越え目黒区、世田谷区へと遡る事が出来ます。
GoogleMapを見る限り、小田急線の梅が丘駅周辺まで川は続いているようですね。
目黒川上流
上のリンク先を見ると、小さな小川となった目黒川が水辺の公園となって子供たちの遊び場になっている様子が分かります。
ここから先は暗渠となり、下のリンク先当りで完全に目黒川の痕跡は途絶えます。
目黒川源流
地図上の特徴から暗渠跡を辿るのは、以前大井町の暗渠を辿った日記でも書いたように割と簡単なので、こんな感じに川の痕跡を追いかけるのもちょっと面白いですね。
さて、新馬場へと道は続きます。
途中に公園に有った藤棚です。
なかなか立派ですが、まだ季節が早かったようでせいぜい2分咲きと言ったところでしょうか。
満開になったらさぞかし立派な姿を見せてくれるのでしょうね。
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