レガシィとの旅 その34 広島県 ①2013年06月10日 00:15

ちょっと間が開きましたがレガシィとの旅シリーズ、次は広島県です。

地図が正しく表示されない不具合が有ります。
広島県の地図が表示されていない場合は日記のタイトルをクリックして日々の日記を個別に見て頂ければ大丈夫です。



広島県の北部と瀬戸内海沿いの南部に2本の赤いラインが伸びています。

北部は中国自動車道、南部は山陽道、西の方へ遠征する時に使うルートです。
尾道市から更に南へ、瀬戸内海沖へと伸びる赤いラインが有りますが、これはしまなみ海道です。
車で自走して四国に入るルートは現在三つ有り、その内の一つがこのしまなみ海道です。

他の二つは明石海峡大橋~淡路島~大鳴門橋のルートと瀬戸大橋のルートですね。

この県も私の釣りの遠征先とは違ってある意味通過するだけの県ですが、他の通過県との相違が有ります。

それは個人的な話なのですが、私は大学時代をこの県で過ごしている点です。

当たり前ですが大学時代と言うのは、人生の中で非常に重要な経験を得る時期です。
良きにつけ悪しきにつけ、様々な世の中の仕組みを学生と言う気楽な立場から学んで行く時期ですね。

大学では一年半を広島市で過ごし、その後の3年半を福山市で過ごしました。
何だか一年多いようですが、それはまあ、どうでも良い話ですね。

岡山県との県境近くに赤いラインが固まっているエリアが有ります。
そこが福山市です。
近くまで走って来た時に、懐かしくて立ち寄って走り回った痕跡です。

大学跡

大学は上のリンク先のストリートビューの位置に有ったのですが、今は移転して緑町公園と言う施設に生まれ変わっています。

大学時代の私はあまり感心出来ない学生だったせいで、学校での思い出は余り多くは有りません。

しかし、学校以外の外の世界の事を多く学んだ年月だったと言えます。

セントポーリア

ストリートビューでもかすかに痕跡が有りますが、ここにセントポーリアと言う喫茶店が有り、開店から閉店までこの店を中心にして生活をしていました。
宮崎生まれのママさんが、数人の私の仲間達に良くしてくれて大変にお世話になっていました。

寒い季節はバイクで冷えた体を暖めに、暑くて眠れない季節の夜は勝手に店に入ってエアコンを全開にしてソファで眠らせてもらったりしていました。

コーヒー一杯、たまに食事を注文するだけで、一日中店を出たり入ったり好き勝手な行動ばかりしている、お客としては最低の部類だった訳で、今思い出すと申し訳無い気持ちになってしまいます。

と言うかこんなの客じゃ有りませんね。
警察に突き出されても文句言えない気がします。

この店は夜はスナックも兼ねていて、地元のお客さんで賑やかな夜も数有りました。

そんな時も何故か無関係な自分が、今の自分と同年代くらいの大人達に混じって飲んだり歌ったりしていた事を思い出します。

元町

その頃、普段はアルバイトが無い日はバイクで走り回ったり酒を飲んだりしていましたが、それ以外にこのアーケードの向こう辺りに有った雀荘で良くマージャンを打っていたりしていました。

と、ここまで書いた所で、ちょっと長くなり過ぎた事に気付きました。

レガシィとの旅日記も、そろそろ生まれ故郷に近づき、故郷に近づくと色々なネタが溢れ出して来ます。
出来るだけシンプルにエッセンスだけを日記にしないと、とんでも無いページ数になってしまいそうです。
気をつけたいと思います。

続きは次回に回そうと思います。