大井町 立会道路 その3 ― 2012年12月18日 00:24
大井町へラーメンを食べに行っただけなのですが、川の痕跡らしき物を見つけてしまい、ちょっと探検気分でうろついています。
私は本来釣り師なのでこういった水の流れに心引かれる傾向が有るのでしょうね。
ご存知の通り、バス釣りや本業のライギョ釣りで新たなポイントを探す場合、ポイントへの入水、出水の経路を考えるのはとても大切な事です。
目的の野池などの上流、下流にバス、ライギョが生息していれば、新たなポイントも魚が入っている可能性が高いと判断出来る訳ですから。
この場合、川のようにはっきりと繋がりが見えれば分かりやすいのですが、農業用水などでは往々にして暗渠とされている場合が有ります。
こんな時には今回の日記に書いたように想像力で水系を予測しているわけです。
この辺りです
例えばこの池です。
この池は暗渠によって鶴見川と繋がっています。
鶴見川には数は少ないですがバスは生息しています。
誰かが鶴見川に放流した可能性が高い訳ですが、更に上流にバスの供給地が有る可能性が有ります。
で、若い頃に鶴見川を遡ってこの池にたどり着き、バスを発見し釣っていた、と言う訳です。
今は入れないのでここでは釣りをしてはいませんけど。
で、ここで大事なのは、おそらく鶴見川とこの池は個別に誰かが放流した魚で、直接の関連が無い可能性が高いと私は考えている点です。
上の記述と矛盾していますよね。
こういう風に想像してポイント探しをする事自体が釣りの楽しみ方の一つであって、必ずしも正解でなくても良い訳ですね。
まあ、ゲームでダンジョンでの宝探しをやってるようなものです。
さて、余談が過ぎました。
大井町に戻ります。
前回の日記で立会道路~大井町駅ホーム~阪急デパート前~大井蔵王権現神社までの想像上の川の経路を辿ってみました。
上の画像の水色の部分ですね。
さて、ここは本当に川の痕跡なんでしょうか。
気になったのでNetを使って色々と調べてみるとこんな情報が有りました。
U.S. Army Map Service, 1945-1946
終戦直後の米軍作成の地図サイトです。
で、大井町周辺を見てみると。
まさに川ですね。
予想通り西大井駅方面へ川は続いているようです。
そして大井町駅の東からは、まさに立会道路の看板が有った道を南へと下っています。
この先には何が有るんでしょうか。
この辺りです
立会川へと繋がっていました。
この川に蓋をして道路にしていたんですね。
ラーメン屋さんの隣から始めた探索がようやく一本の川となり海へと繋がりました。
ついでにもう一枚探し当てたので載せてみます。
1944年に陸軍が摂った航空写真です。
時代が古いので解像度が悪いですが、かすかに立会川の流路が見てとれます。
昼食を摂る為に時々行く町ですが、ちょっとしたヒントから駅前に川が流れる昔の大井町の姿を想像するちょっと楽しい旅気分を味わう事が出来ました。
自分が住む町では慣れ親しみ過ぎて、細かい部分は見落としがちです。
旅人の目線で町を眺めていると、たまに面白い物を見つける事が出来て楽しいですね。
何よりも、この推測、予想を元に、Net調査を含めて2日間楽しむ事が出来た事と、おまけに推測が正しかった事が嬉しいですね。
Netが無い時代だと、ここまで調べるのに図書館などの過去情報を探すなどで、どれだけの時間がかかったのでしょうか。
ところで、この立会道路が川の痕跡だと言う事実は、地元の人にとって常識の範囲なんでしょうか。
どうなんでしょうね。
で、この暗渠は蓋をされて数十年が経過していると思うのですが、引っぺがして釣り糸を垂れてみたいと思うのは私だけでしょうか?
正体不明の怪魚とか住んでいないでしょうかね?
私は本来釣り師なのでこういった水の流れに心引かれる傾向が有るのでしょうね。
ご存知の通り、バス釣りや本業のライギョ釣りで新たなポイントを探す場合、ポイントへの入水、出水の経路を考えるのはとても大切な事です。
目的の野池などの上流、下流にバス、ライギョが生息していれば、新たなポイントも魚が入っている可能性が高いと判断出来る訳ですから。
この場合、川のようにはっきりと繋がりが見えれば分かりやすいのですが、農業用水などでは往々にして暗渠とされている場合が有ります。
こんな時には今回の日記に書いたように想像力で水系を予測しているわけです。
この辺りです
例えばこの池です。
この池は暗渠によって鶴見川と繋がっています。
鶴見川には数は少ないですがバスは生息しています。
誰かが鶴見川に放流した可能性が高い訳ですが、更に上流にバスの供給地が有る可能性が有ります。
で、若い頃に鶴見川を遡ってこの池にたどり着き、バスを発見し釣っていた、と言う訳です。
今は入れないのでここでは釣りをしてはいませんけど。
で、ここで大事なのは、おそらく鶴見川とこの池は個別に誰かが放流した魚で、直接の関連が無い可能性が高いと私は考えている点です。
上の記述と矛盾していますよね。
こういう風に想像してポイント探しをする事自体が釣りの楽しみ方の一つであって、必ずしも正解でなくても良い訳ですね。
まあ、ゲームでダンジョンでの宝探しをやってるようなものです。
さて、余談が過ぎました。
大井町に戻ります。
前回の日記で立会道路~大井町駅ホーム~阪急デパート前~大井蔵王権現神社までの想像上の川の経路を辿ってみました。
上の画像の水色の部分ですね。
さて、ここは本当に川の痕跡なんでしょうか。
気になったのでNetを使って色々と調べてみるとこんな情報が有りました。
U.S. Army Map Service, 1945-1946
終戦直後の米軍作成の地図サイトです。
で、大井町周辺を見てみると。
まさに川ですね。
予想通り西大井駅方面へ川は続いているようです。
そして大井町駅の東からは、まさに立会道路の看板が有った道を南へと下っています。
この先には何が有るんでしょうか。
この辺りです
立会川へと繋がっていました。
この川に蓋をして道路にしていたんですね。
ラーメン屋さんの隣から始めた探索がようやく一本の川となり海へと繋がりました。
ついでにもう一枚探し当てたので載せてみます。
1944年に陸軍が摂った航空写真です。
時代が古いので解像度が悪いですが、かすかに立会川の流路が見てとれます。
昼食を摂る為に時々行く町ですが、ちょっとしたヒントから駅前に川が流れる昔の大井町の姿を想像するちょっと楽しい旅気分を味わう事が出来ました。
自分が住む町では慣れ親しみ過ぎて、細かい部分は見落としがちです。
旅人の目線で町を眺めていると、たまに面白い物を見つける事が出来て楽しいですね。
何よりも、この推測、予想を元に、Net調査を含めて2日間楽しむ事が出来た事と、おまけに推測が正しかった事が嬉しいですね。
Netが無い時代だと、ここまで調べるのに図書館などの過去情報を探すなどで、どれだけの時間がかかったのでしょうか。
ところで、この立会道路が川の痕跡だと言う事実は、地元の人にとって常識の範囲なんでしょうか。
どうなんでしょうね。
で、この暗渠は蓋をされて数十年が経過していると思うのですが、引っぺがして釣り糸を垂れてみたいと思うのは私だけでしょうか?
正体不明の怪魚とか住んでいないでしょうかね?
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