東北 ~南三陸町2012年11月28日 12:50

更に北上を続け南三陸町を目指します。

このルートです

戸倉のコンビニを出てガレキを乗せたトラックが行ったり来たり忙しく行き交う国道45号線を北上して行きます。

南三陸町の手前はやや山がちになっており被害が目立たないのですが、町の手前の川を渡った途端に景色が一変しました。

この辺りです

南三陸町はこの辺りでは比較的大きな町だったはずですが、それこそ何も残っていません。

ところどころに3~4階建てのコンクリートの建物が残っていますが、窓は無く上階まで津波に洗われた事が分かります。

この辺りです

南三陸町津波動画

動画を見ると、とてつもない高さまで津波が押し寄せたのが分かります。

この辺りです

推測でしか有りませんが、上のストリートビューは動画が撮られた場所じゃないかと思います。

高台に有る志津川高校への道の中ほどくらいまで津波は駆け上がって行ったんでしょうね。

ちょっと想像が付きません。

それと今回の津波被害によって有名になってしまった南三陸町の悲話が有ります。

南三陸町には防災対策庁舎と言う施設が有り、そこに勤める女性が最後まで避難の呼びかけ放送を続けた末に亡くなってしまった、と言う悲劇ですね。

遠藤未希さんと言う方だったようです。
ご冥福を祈ります。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_1


その防災対策庁舎です。
3階建ての建物が完全に水没してしまっています。

津波時の画像を見た事が有るのですが、庁舎の屋上に有る数本のアンテナ。
この中で最も高いアンテナにしがみ付いた数人のみが助かったそうです。

屋上に立っていた人、他のアンテナに掴っていた人達は全て流されてしまったそうです。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_2


鉄骨の骨組みだけが残っています。

2012_11_10_南三陸町_防災対策庁舎_3.


正面には千羽鶴や花が供えられています。

このような巨大な災害、津波を防ぐ有効な方法は何か有るんでしょうか。

有名な田老の高さ10メートルの堤防も破られましたし、住民全員が避難可能な高さの有る建物を造るのはそう簡単に出来る話では無さそうです。

やはり個々人で高台へ移転するしか無いのでしょうかね。

さすがに車内は呆然とした空気が流れますが、とりあえず気仙沼に向かって車を走らせます。